
二月に入って、店先に鬼のお面と豆が並び始めると、今年はどうしようかと迷いませんか。
節分は二月三日ごろの一日です。翌日の立春から暦のうえの春が始まるので、その前の日、つまり冬の最後の日にあたります。年が改まる直前に、家にたまった悪いものを外へ出しておく。豆まきも恵方巻きも柊鰯も、「変わり目の前に片づけておく」という一つの考え方の上に乗っています。
家でできることは、大きく三つです。豆をまく。恵方巻きを食べる。玄関に柊鰯を飾る。三つとも全部やらなければいけない日ではありませんし、やり方も地域や家によってかなり違います。まずは何をする日なのかから見ていきます。
節分がわかる3つのこと
- 節分とは「季節を分ける日」という意味の言葉です。 もともとは立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日を指し、年に四回ありました。今は春の分だけが行事として続いています。
- 豆・恵方巻き・柊鰯が、家でできる三本柱です。 由来もできた時代もばらばらなので、三つを全部そろえる必要はないのです。
- 日付が二月二日になる年があります。 立春の日が太陽の位置で決まり、年によって動くためです。二〇二一年と二〇二五年の節分は二月二日でした。
恵方巻きは、どちらを向いて食べるのか
恵方(えほう)とは、その年に歳徳神(としとくじん)という神様がいるとされる方角のことです。方角はその年の十干(じっかん)によって決まり、東北東・西南西・南南東・北北西のおおむね四つを順に巡ります。カレンダーや暦の案内に毎年書かれているので、当日にそれを見れば足ります。
太巻きを丸ごと、恵方を向いて、しゃべらずに食べきる。よく知られたこの作法は、じつは後から整えられた部分が大きいものです。太い巻き寿司を一気に食べるのは、小さな子どもや年配の家族には負担になります。切り分けてしまってよいのです。
恵方巻きで迷わない5つのこと
- 方角はその年の暦で確かめます。 毎年変わるので、去年と同じ向きにはなりません。
- 切って食べても差し支えありません。 家族の食べやすさを優先するほうが、後味がよくなります。
- 黙って食べきる決まりは、後から広まった形です。 途中で話しても行事が壊れることはないのです。
- 買うのは必要な数だけにします。 売れ残った分の廃棄が問題として語られるようになりました。
- 手巻きにすると具を選べます。 苦手なものを外せるので、子どものいる家では作るほうが早いこともあります。
鬼のお面と、まく豆の選び方
鬼のお面は、家族の誰かがかぶって鬼役になるための道具です。ただ、小さな子どもは本気で怖がることがあります。鬼役を立てず、窓に向かって豆をまくだけの年があってもかまいません。豆の袋におまけとして付いてくるお面を、壁に貼って眺めるだけにする家もあります。
豆は炒った大豆が基本ですが、殻付きの落花生をまく地域があります。北海道、東北の一部、信越、それに鹿児島や宮崎など、南北に離れた場所に分かれて残っているのが面白いところです。理由は実用的なものばかりで、殻に入っているので拾って食べられる、雪の上に落ちても回収できる、後片づけが楽、といったものです。全国的には戦後に広まったとされ、由来の古さでいえば大豆より新しい形になります。
食べる数は「年の数」とも「年の数より一つ多く」とも言われます。後者は、数え年で年齢を数えていたころの名残という説明が添えられます。どちらでなければならないという決まりは見当たりません。落花生の場合、殻ひとつを一粒と数えるのか中の実で数えるのかも定まっていないので、家で決めてしまってよい部分です。
豆まきをする4つの手順
- 日が暮れてから、家の奥の部屋から順に窓を開け、外へ向けてまきます。
- まき終えた部屋の窓を閉め、こんどは内側へ向けてまきます。
- 落ちた豆を拾い、その年に食べる数を決めて口に入れます。
- 玄関まわりを拭き、翌日から新しいものを迎える側へ切り替えます。
追い出したいものを先に言葉にしておくと、掛け声だけで終わりません。持ち越したくない習慣を一つ選ぶ。散らかったままの場所を一つ決める。その程度で十分です。鬼を身近な誰かに見立ててしまうと行事が角の立つものになるので、そこだけは避けておくほうが穏やかです。
食べる時間から、家の段取りを決める
夕食に巻き寿司を用意するなら、豆まきを先にするか後にするかを家族で決めておきます。まく豆と食べる分を別の器にし、片づけ用の道具も近くへ。お面をかぶるのが苦手なら、飾る場所を子どもと一緒に選んでも楽しめます。どの作法を取り入れるかだけでなく、終わったあとまで見通せると、短い時間でも落ち着いて行事を味わえます。
玄関に挿す柊鰯(ひいらぎいわし)
柊の枝に、焼いた鰯の頭を刺して玄関先に挿す飾りを柊鰯といいます。西日本を中心に残っている風習で、とがった葉と強い匂いで鬼を寄せつけない、という説明が添えられてきました。魔除けに使われるものは、たいていこの二つの性質のどちらかを持っています。
匂いの出るものを玄関に置きにくい住まいも多いので、鰯を焼いて食べるだけにする、柊の枝を一本だけ飾る、といった形に縮めるので十分です。
宮中の追儺から、家々の豆まきへ
ここからは、豆まきの来歴をさかのぼってみます。
たどっていくと追儺(ついな)という宮中の儀式に行き着きます。中国の大儺(たいな)を取り入れたもので、日本では慶雲三年、西暦七〇六年に行われた記録が『続日本紀』に残っています。疫病が広がった年に、目に見えない疫鬼を追い立てるために行われたと伝えられます。
儀式の中心にいたのは方相氏(ほうそうし)という役でした。四つの目を持つ面をかぶり、矛と盾を手にして鬼を追い払う、いわば払う側の役どころです。ところが平安時代の末ごろになると、この方相氏そのものが鬼と見なされ、追われる立場へ移っていきます。恐ろしい面をかぶっている、というだけの理由で立場が入れ替わったわけです。鬼という存在の輪郭が、まだ固まっていなかった時代の名残と読めます。
節分には、炒った豆をまいて邪気を払う習わしがあります。「魔を滅する」という語呂合わせで紹介されることも。豆を入れる升や、年の数にちなんで食べる習慣など、身近な道具と食べ物が行事を形づくっています。
恵方巻きは、大阪の風習が小売店などの販売を通して各地へ広まったものです。地域の食べ方が、節分の食卓の楽しみとして親しまれるようになりました。
鬼が角と虎の皮をまとっている理由
鬼の絵姿は、たいてい牛の角を生やし、虎の毛皮の腰巻きをつけています。この組み合わせは、方角の考え方から説明されるのが一般的です。
陰陽道では北東を鬼門と呼び、忌むべき方角として扱ってきました。十二支を時計回りに方角へ当てはめていくと、北東はちょうど丑(うし)と寅(とら)のあいだに来ます。そこで丑の角、寅の皮という姿が結び付けられた、という筋道です。
絵巻に登場する鬼には、角のない姿や、獣と人を合わせたような姿もあります。時代や物語によって描かれ方が違うので、美術館や本で鬼の姿を見比べるのも楽しそうです。
「鬼は内」と唱える土地がある
掛け声も全国で一律とは限らないのです。鬼を祀る社、鬼にゆかりの伝承を持つ寺、鬼の字を姓に持つ家では、鬼を追い出さない唱え方をします。
奈良県の金峯山寺では「福は内、鬼も内」と唱え、よそから追われてきた鬼を迎え入れる形をとります。埼玉県嵐山町の鬼鎮神社のように、社の名前からして鬼を外へ出さないところもあります。土地の由緒によって言葉が変わるのは、この行事が上から一律に決められたものではなく、それぞれの土地で育ってきた証拠でしょう。
家のなかでも同じです。声を出すのが気恥ずかしければ、まかずに食べるだけの年があってもかまいません。翌日は暦のうえの新しい年にあたります。豆をまく夜は、その前夜祭のようなものだと考えると、片づけの手つきも軽くなります。
よくある質問
Q. 節分はいつも二月三日ですか
立春の前日にあたるため、立春が動く年は節分も動きます。二〇二一年と二〇二五年は二月二日でした。その年のカレンダーを見て確かめるのが確実です。
Q. 恵方巻きは黙って食べきらないと意味がありませんか
家族が食べやすい大きさに切り分け、いつもの食卓で楽しめます。恵方を向いて願いを思い浮かべる時間を、食べ始めに少し取る形もよさそうです。
Q. まいた豆は拾って食べるものですか
年の数だけ食べる習わしがありますが、床にまいた分を無理に口に入れる必要はありません。袋のまま供えてから食べる、まく分と食べる分を分けておく、といった形にしている家も多くあります。
出典
- 『続日本紀』慶雲三年の追儺に関する記述
- 国立国会図書館「本の万華鏡」における豆まきと節分の解説
- 恵方巻の普及過程についてのコンビニエンスストア各社および業界資料の記述
- 各地方紙による節分の豆の分布調査