
一月七日の朝、七草のパックを前にして、これは何のための粥だったかと考えたことはありませんか。
七草粥は、一月七日の朝に食べる粥です。春の七草を刻んで入れ、塩だけで味を整えるのがふつうの形で、その年を健やかに過ごせるようにと願って食べられてきました。
この日は人日(じんじつ)といい、年に五つある節句の先頭に置かれた日でもあります。 正月飾りを外す松の内が七日までとされる地域では、飾りを片づける日にも重なります。粥を食べたら玄関を元に戻す。そう決めておくと、二つの区切りが一度で済みます。
七草粥がわかる3つのこと
- 一月七日の朝に食べる、塩味の粥です。 決まった作法はなく、粥を炊いて刻んだ草を最後に混ぜれば形になります。
- 七草がそろわなくても差し支えありません。 もともと土地によって中身の違う行事で、代わりの食材で作ってきた地域が数多くあります。
- 正月飾りを片づける日と重なります。 松の内が七日までの地域では、粥と玄関の片づけがひと続きになります。
七つの草の名前と、その正体
春の七草は、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。歌の調子で覚える形が広まったおかげで、名前だけは知っているという人の多い草です。
ただ、名前と実物が結びつきにくいものがいくつかあります。すずなは蕪(かぶ)、すずしろは大根のこと。つまり七草のうち二つは、台所にふつうにある野菜です。ほとけのざは、いま園芸店で同じ名前で売られている植物とは別のもので、コオニタビラコという草を指します。なずなはぺんぺん草、ごぎょうはハハコグサ、はこべらはハコベの古い呼び方です。
前の晩からできる作り方
作り方に厳密な決まりはなく、手順もごく簡単です。前の晩に下ごしらえを済ませておけば、当日の朝はほとんど手が空きます。
七草粥を作る4つの手順
- 前の晩に、草を洗って刻んでおきます。 蕪と大根は薄いいちょう切り、葉物はざく切りにして、別々に冷蔵しておきます。
- 葉物だけ、さっと下ゆでします。 苦みと青くささが和らぎ、色もきれいに残ります。
- 朝は米から粥を炊きます。 米一に対して水は七から八ほど。炊いたご飯から作る場合は水を多めにして煮ます。
- 火を止める直前に草を混ぜ、塩で整えます。 蕪と大根は先に、葉物は最後に入れると食感が残ります。
塩気を足したくなったら、粥そのものではなく添え物のほうで調整すると食べやすくなります。梅干しや塩昆布を少し添えるだけで十分です。朝に作る時間がなければ、夜の献立に回してもかまいません。
七草がそろわないときの代わり
一月七日に七種の若菜が採れるのは、温暖な土地に限られます。雪に覆われる地域では、そもそも野に草がありません。そのため、根菜や乾物、山菜の塩蔵品で代える、納豆汁や雑穀を使う、月遅れの二月七日に行うなど、土地ごとの折り合いが生まれました。
つまり「七草がなければ成り立たない」という行事ではないわけです。手に入る青菜を数種類、小松菜でも水菜でも三つ葉でもかまいません。パックの七草を買って作るのも、いまではごく普通の形になっています。
忙しい朝は、前夜に鍋の横まで支度する
前の晩に葉物と根菜を別々にしておき、朝に使う鍋と器も出しておきます。七草のパックを使う場合は、添付の案内を見ながら下ごしらえを進めると迷いません。食べる人数に合わせて米やご飯を用意し、根菜を先に、葉物を最後に入れる順番を確認しておく。味つけを足す前に一口食べると、青菜の香りもわかります。
一月七日が「人の日」と呼ばれるわけ
ここからは、日付の由来をたどります。
六世紀の中国で編まれた『荊楚歳時記』に、正月の一日から順に動物を当てはめて占う記述があります。一日は鶏、二日は狗(いぬ)と進んで、七日が人。その日は人を占い、罪人を罰しない日とされました。人日という呼び名はここから来ています。
同じころの中国には、七日に七種類の菜を入れた羹(あつもの)を食べて無病息災を願う習わしがありました。一方の日本には、年の初めに芽吹いたばかりの草を摘む若菜摘みという行いがあり、『万葉集』にもその情景が詠まれています。外から来た日付と、もとからあった行いが結びついて、七草粥の形が育ちました。
平安のころは米や粟など七種類の穀物を使う粥だったとされ、青菜が主役になるのは鎌倉時代より後です。同じ名前の行事でも、中身は入れ替わってきました。
五つの節句の先頭に置かれた日
節句は年に五つあり、いずれも奇数の月と日が重なる日に置かれています。一月七日の人日、三月三日の上巳、五月五日の端午、七月七日の七夕、九月九日の重陽。奇数を陽の数とする中国の考え方に基づいた並びで、正月だけは一月一日が別格に扱われたため、七日が代わりに入っています。
この五つを公の式日として定めたのは江戸幕府です。武家が登城する日として位置づけられたことで、町方の暮らしにも広がりました。明治六年に式日としての節句は廃止されますが、行事のほうは家庭に残り、いまに続いています。制度が消えても習わしが残るというのは、暦にまつわる行事によくある道筋です。
「胃を休めるため」という説明について
七草粥を、正月にくたびれた胃腸をいたわるための料理と説明することがあります。理にはかなっていますが、これは近代以降に添えられた実用的な理由づけで、行事の出発点ではありません。もとにあるのは、若い草の生命力を取り込み、その年の無病息災を願うという考え方です。
どちらかが間違いという話ではないでしょう。古い願いの上に、いまの暮らしに合った説明が重ねられている。行事が長く続くときには、たいていこういう層ができます。由来を知ったうえで、胃にやさしいから食べる、という理由で作っても差し支えありません。
七つという数を、体のことだけに使わない手もあります。睡眠、食事、机の上、財布の中身、返しそびれた連絡。年始の勢いで増やしたものを、七日を目安に一度ずつ点検しておくと、二週目の入り方が変わります。
よくある質問
Q. 七草粥は朝に食べないといけませんか
朝に食べる習わしが伝わっていますが、決まりというほどのものではありません。前の晩に草を刻んでおけば朝でも手早く作れますし、夕食に回しても行事としては成り立ちます。
Q. 春の七草が手に入りません。何で代えられますか
小松菜、水菜、三つ葉、春菊など、手に入る青菜を数種類で足りています。蕪と大根はもともと七草に入っているので、その二つがあれば形はかなり整います。
Q. 一月七日を過ぎてから作ってもよいですか
かまいません。雪の多い地域では、草の芽吹きを待って月遅れの二月七日に行う土地もあります。日をずらして作る例は、もともと各地にあった形です。
出典
- 『荊楚歳時記』における正月七日と七種菜羹の記述
- 日本人形協会ほかによる五節句および人日の解説
- 江戸幕府の式日制定および明治六年の節句廃止に関する史料の記述
- 各地の七草行事における代用食材の報告