
近所の小さなお稲荷さんに、二月だけのぼりが増えるのを見たことはありませんか。
二月に入って最初の午(うま)の日を初午といいます。午は十二支の七番目で、年だけでなく日にも十二日ごとに割り当てられています。その最初の午の日に、全国の稲荷社が一年でもっとも大切にする祭りを営み、総本宮である伏見稲荷大社では、初午大祭と呼びます。
日付は毎年動きます。 干支の巡りで決まるので、二月のはじめに来る年もあれば、十日ほど後ろへずれる年もあります。小さな祠や屋敷神まで数えると三万を超えるといわれる稲荷信仰にとって、年の口開けにあたる日です。
初午祭がわかる3つのこと
- 誰でも参拝できます。 氏子(うじこ)や講の人だけの日ではありません。氏子とはその社が守る地域に住む人のことですが、そうでない人も社殿の前で手を合わせられます。
- 供え物の中心は油揚げです。 狐の好物と考えられてきたためで、そこから、酢飯を詰めたいなり寿司を食べる習わしが各地に広がりました。
- 祀られているのは食べ物の神です。 宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)といい、ウカは食物、とくに稲の実りを指す古い語です。
初午の日に、稲荷社へ参っていいのか
参って差し支えありません。むしろ、この日は普段より社が開かれています。伏見稲荷大社をはじめ多くの稲荷社が祭典を行い、境内に露店の出る土地もあります。祭典そのものは神職が進めますが、参拝する人は外から参拝できます。
気にする人が多いのは、稲荷信仰にまつわる「一度参ったらやめられない」という言い方でしょう。祟りの話として口にされることもありますが、社の公式な説明に、そうした教えはありません。 長く付き合う神さまだから折々に参る、という土地の感覚が誇張されて伝わったものと見るのが穏やかです。参れない年があっても、心配しなくてよいでしょう。
油揚げから、いなり寿司へ
供え物に油揚げが並ぶのは、狐の好物と考えられたためです。もとは油で揚げた鼠を供えていたという説もあり、そこから精進の形に置き換わって油揚げになったと語られます。
その油揚げに酢飯を詰めたものが、いなり寿司です。初午の日にいなり寿司を食べる習わしは各地にあり、関東では俵の形、関西では三角に作る店が多いという違いもあります。地域によっては初午団子を作り、養蚕の繭に見立てて供えました。栃木のしもつかれのように、この時期の郷土料理と結びついている土地もあります。
初午の日にできる4つのこと
- 近所の稲荷社に参ります。 社名の札を読み、どの神が祀られているか確かめると、いつもの通り道が違って見えてきます。
- 油揚げかいなり寿司を、食卓に一膳上げます。 買ってきたもので十分です。
- 仕事道具を拭きます。 使っていない道具は、この日に片づけ先を決めてしまいます。
- 台所の火まわりと水まわりを掃除します。 食べ物の神を迎える日なので、ここがいちばん筋に合う場所です。
しるしの杉という授与品
伏見稲荷大社では、初午大祭の日にしるしの杉が授与されます。験の杉とも書き、商売繁昌と家内安全の御符、つまりお守りの札として扱われるものです。
もとは平安時代の習慣にさかのぼるとされます。熊野詣の帰り道に稲荷社へ立ち寄り、無事に戻ったしるしとして杉の小枝をいただいて身につけた、という話が由来として伝えられています。参拝の記念というより、道中を守られた証しに近い受け取り方です。
和銅四年に、稲荷山へ降りた
ここからは由緒です。伏見稲荷大社では、和銅四年、西暦七一一年の二月初午の日に、稲荷大神が稲荷山の三ヶ峰へ降りたと伝えています。この日を起点に、以後ずっと初午が祭日として守られてきました。
稲荷という社名は、稲が生ることに由来するという説明が広く用いられます。もともとは農耕の神で、田の実りを願う対象でした。それが中世以降、商いの神としての性格を強めていきます。米が経済の物差しだった時代を思えば、実りと商売がつながっていくのは自然な流れだったのでしょう。
初午の参拝は福詣りとも呼ばれます。清少納言が稲荷詣に苦労した話が枕草子に残っていて、平安のころから人の集まる社だったことが分かります。
狐は神ではなく、使い
社頭の狐についても、ひとつ整理しておきたいところがあります。狐は神そのものではなく、神の使いです。 白狐(びゃっこ)や命婦(みょうぶ)と呼ばれ、社殿の前に一対で据えられます。稲荷を狐の神さまとする言い方は広まっていますが、社の側の説明は一貫して神使(しんし)、つまり神に仕える動物という位置づけです。
願い方に迷うなら、今年どんな働きを積むかを先に決めてから手を合わせるとよいでしょう。取引先へ連絡を絞る、値付けを見直す、断る仕事を決める。どれも実りの前段にある作業です。実りとは、蒔いて育てたものが返ってくることを指し、何も蒔かずに収穫だけを願うのは、この祭りの筋からいくと少し外れます。
同じ二月には、実りを祈る祈年祭も控えています。初午が稲荷社の祭り、祈年祭が全国の神社で営まれる祭りという違いを知っておくと、この月の並びが見えてきます。
暮らしの中で試すなら
よく使う仕事道具を一つ選び、手入れしながら「何に助けられているか」を考えてみましょう。毎日使うペンなら書きやすさを確かめ、裁縫道具なら糸や針の置き場所を整えます。足りないものが見つかったら、次に使う日までに用意することを一つ決めます。実りへの願いを、明日の働きやすさにつなげる過ごし方です。
よくある質問
Q. 家に神棚がなくても初午はできますか
できます。台所に小さな器を置いて、油揚げやいなり寿司を一つ供えるだけでも形になります。食べ物の神を迎える日なので、供える場所は台所がいちばん自然です。供えたものは、そのあと家族でいただいて構いません。
Q. 二月に午の日が二回ある年はどちらに参りますか
祭りにあたるのは最初の午の日で、二度目は二の午と呼ばれます。二の午にも祭典を行う社があるので、初午の日に都合がつかないときは、そちらに参る形でも差し支えありません。社によって扱いが違うため、参る前に日程を確かめておくと確実です。
Q. いなり寿司はいくつ食べるものですか
決まった数はありません。地域によって形も味付けも違い、数の作法を定めている社もありません。家族の人数に合わせて用意し、供えた分をあとで分けていただけば十分です。
出典
- 伏見稲荷大社による初午大祭およびしるしの杉の案内
- 枕草子にみえる稲荷詣の記述
- 稲荷信仰と狐、油揚げの結びつきに関する民俗研究の一般的な記述