
冬至にゆず湯とかぼちゃ。理由まで説明できる人は、意外と少ないかもしれません。
冬至は、一年でいちばん昼が短い日です。翌日からは、一日に数十秒ずつ昼が伸びていきます。動きとしてはごくわずかですが、向きは確実に変わります。 減り続けていたものが増え始めるこの構造が、冬至を暦のなかで特別な日にしてきました。
冬至がわかる3つのこと
- 昼の長さが一年で最短になる日。 太陽がいちばん低いところを通ります。
- ゆず湯とかぼちゃには、別々の理由があります。 片方は厄を払う禊、片方は名前の語呂合わせです。
- いちばん暗い日ではありません。 日の入りが最も早いのは冬至の半月ほど前です。
ゆず湯とかぼちゃ、それぞれの理由
知られている二つの習わしには、別々の背景があります。
ゆず湯については、「柚子」と「融通」、「冬至」と「湯治」の語呂合わせが由来として紹介されます。ただ、もとをたどると、運を呼び込む前に身を清める禊の意味があったと説明されることが多いところです。強い香りのものに厄を払う力を見る考え方は、菖蒲湯など他の行事にも共通しています。ゆずの精油成分には血行を助ける働きがあるとされ、寒い時期の入浴として理にかなった習慣でもあります。
かぼちゃのほうは、名前の話です。西日本ではかぼちゃを南瓜と呼び、「ん」が付く食べ物を食べると運を呼び込めるという言い伝えに合います。この運盛りの考え方から、れんこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、かんてん、うんどん(うどん)と合わせて冬至の七種と数える土地もあります。「ん」が二つ続くものを選ぶ、という細かい説もあります。
実質的な理由もあわせて語られます。かぼちゃは夏の作物ですが保存が利き、緑黄色野菜が乏しくなる冬に栄養を取れる食材でした。小豆粥を炊く冬至粥の習わしも各地にあり、赤い色に厄を払う意味を重ねたものです。縁起の話と、暮らしの都合が同じ食卓に乗っている。 冬至の食べ物は、その二重構造が分かりやすい例です。
冬至の食卓を、一品から
冬至の支度は、食べたいものを一品決めるところから始められます。かぼちゃの煮物をいつもの器へ盛る、小豆粥を少し用意する。食卓で「なんきん」「れんこん」と声に出してみると、運盛りの言葉遊びも伝わります。家族と囲むなら、それぞれが子どものころに食べていたものを聞いてみてもよいでしょう。同じ冬至でも、家に残っている味はさまざま。由来を読んだあとに味わう一口が、その年の冬の記憶になります。
いちばん暗い日は、冬至ではありません
冬至は昼が最短の日ですが、日の入りがもっとも早い日ではありません。日の入りが最も早くなるのは冬至の半月ほど前、日の出が最も遅くなるのは冬至の半月ほど後です。夕方の暗さの底と、朝の暗さの底が、冬至をはさんで前後に分かれています。
理由は、太陽が真南に来る時刻が一年を通して一定でないこと。地軸の傾きと公転軌道の形からくるずれです。
この事実は、体感の説明としても使えます。十二月の初めに「もう暗い」と感じるのは正しく、そのころ夕方の暗さはすでに底を打っています。一方で、朝がいちばんつらいのは年が明けてから。冬至を過ぎたのに楽にならないと感じるのは、気持ちの問題ではなく時刻表のとおりです。
つまり冬至は、暗さの最終地点ではなく、暗い時期の真ん中を通り過ぎる標識のようなもの。ここから先も一か月ほどは寒さも暗さも続きます。その前提で計画を立てておくほうが、無理がありません。
増やす前に、終わらせる
年内に残っている時間はもう少ないはずです。新しい目標を立てるより、今年の消耗を終わらせるほうが、この日の性格に合っています。
冬至にやってみたい4つ
- 年内に返す連絡と、来年でよい連絡を分ける
- 今年いちばん疲れた出来事を、ひとつだけ書き出す
- 春分まで続けたい小さな習慣を、ひとつ決める
- 今夜だけは早く寝る、と決めてしまう
習慣を選ぶときは、負担の軽いほうにしてください。一日五分で終わることなら、暗くて寒い一月にも続けられます。冬至に決めたことが立春を越えて残っていれば、それだけで十分な成果です。
開運日として紹介されることも多い日で、財布を新しくする、掃除をする、特定の方角を向く、といった作法がいくつも語られています。どれも由来をたどれる習わしですが、内容は地域や流派によって違います。気をつけたいのは順番のほうで、この日にやるべきことのリストが長くなると、いちばん短い日に予定を詰め込むことになります。
暗さや停滞そのものを、悪いものとして扱わなくて構いません。眠る、休む、何も決めない。そういう時間があるからこそ、戻ってくる光を受け取れます。
一陽来復という言葉の出どころ
冬至の説明でよく登場する一陽来復は、中国の古典『易経』に由来する言葉です。
易では、陰と陽の組み合わせで六十四の形を表します。そのうち「復」の形は、五つの陰の下にひとつの陽が生まれた姿をしていて、下から陽が戻ってくる段階を示します。この形が冬至と重ねられ、一陽来復という言い方が定着しました。
もとの意味は、悪い運が良い運に変わることそのものより、まず「陽がひとつ戻った」という状態を指します。全部が明るくなったのではなく、五つの陰のなかにひとつだけ陽が生まれた。 その控えめさが、冬至の実感に近いところです。
東京の穴八幡宮では、冬至から節分までの期間に一陽来復の御守が授与されます。決まった夜の決まった時刻に、その年の恵方へ向けて高いところに貼るという作法が知られていて、金運や商売繁盛を願う人が集まります。江戸期から続く習わしとされ、冬至という日の性格が信仰の形に落ちた例です。
暦の世界では、冬至と朔(新月)が同じ日に重なる年を朔旦冬至と呼び、めでたい巡りとして祝ってきました。太陽が戻り始める日と、月が新しくなる日がそろうからです。十九年に一度ほどの頻度で訪れる、暦の計算から生まれた祝いになります。
いちばん長い夜に
その日にすることを大げさに決めなくても、夜が長いという事実だけで十分に冬至らしくなります。
湯を張って、少し長く入る。それだけで体温が上がり、眠りに入りやすくなります。ゆずが手に入らなければ、みかんの皮でも香りは立ちます。作法を完璧にするより、温まって早く寝るほうがこの日の趣旨に合っています。
あかりをひとつに絞る過ごし方も、この夜に向いています。部屋の明かりを落として、手元だけ照らす。暗さの側に身を置いてみると、光が戻り始めるという言葉が少し具体的に感じられます。
翌朝の日の出時刻を調べておくのも、静かな楽しみです。明日から昼が伸びると言っても、体感できるのは一月の下旬あたりから。すぐには変わらないと知っていれば、変わらないことに落胆せずに冬を越せます。半年後の夏至で、同じ線の反対の端に立つことになります。
よくある質問
Q. ゆずが手に入らないときはどうしますか
みかんの皮を布袋に入れるだけでも香りは立ちます。作法より、湯につかって体を温めることのほうがこの日の中心です。
Q. かぼちゃは冬が旬ではないのに、なぜ冬至に食べるのですか
夏に採れて保存が利くためです。冬に緑黄色野菜が乏しくなる時期の栄養源として、理にかなった選択でした。
Q. 冬至を過ぎたのに、朝がつらいままです
朝がいちばん暗いのは冬至の半月ほど後です。日の出が最も遅くなる時期が冬至とずれているため、体感としては正しい実感になります。
出典
- 国立天文台 暦計算室「二十四節気」および日の出入りの季節変化に関する解説
- 『易経』における復の卦に関する一般的な解説
- 穴八幡宮の一陽来復御守に関する案内
- 各種暦書における冬至の食習わし(運盛り・冬至粥・柚子湯)の解説