
手帳に線を引くことと、書類に署名すること。この二つは同じ「始める」でしょうか。
甲子の日は、十干の甲と十二支の子が並ぶ日で、六十通りの干支の先頭に置かれています。そこへ、始まりの行いを控えるものとされてきた注記が乗ります。言葉のうえでは、これほど合わない並びも少なく見えます。
ただ、二つが指している対象をよく見ると、実のところすれ違っています。片方は数え始めの位置の話で、もう片方は手続きが動く行いの話です。
甲子の日と不成就日が並ぶ日でわかる3つのこと
- 起点を置くことに、手続きは発生しません。 今日から数えはじめると手帳に書くことは、書類に署名することと同じではありません。
- 控えるように言われるのは具体的な着手です。 婚礼、開店、移転、契約。あとから取り消しにくい行いが対象になります。
- 甲子待は、何かを起こす夜ではありませんでした。 集まって食べて話して夜を明かす、それだけの寄り合いです。
線を引くことは、走り出すことではない
甲子の日が受け持ってきたのは、数え始めの位置です。六十日を数えるとき、どこを一日目にするかという目印であって、何かを実際に立ち上げる行為とは別の場所にあります。
一方、不成就日が控えるように言うのは、人が動き、金銭が動き、あとから取り消しにくくなる行いです。この差を押さえておけば、二つの注記は同じ日に並んでいてもぶつかりません。
数えるだけの一日にする4つの手順
- 六十日後に確かめたいことを一つ選んで、今日を一日目として書きます。
- 着手はしません。 実際に動かす作業は、次に手の空いた日へ回します。
- 数えられる形を決めておきます。 回数でも分数でも残高でも構いません。
- 誰かに伝えるなら、中身ではなく数える日付だけを渡しておきます。
二つ目が肝心です。起点を置いた勢いで手続きまで片づけたくなりますが、そこは切り離せます。線を引く日と走り出す日を別にしても、六十日という長さは変わりません。
甲子待は、何かを起こす夜ではなかった
この日の夜に人々が寄り合い、大黒天をまつって夜を明かす習わしが、江戸期の各地に伝わっていました。甲子待と呼ばれ、二股の大根や黒豆、赤飯を供えたとされます。
内容をたどると、厳しい修行でも大きな祈願でもなく、近所の人が集まって食べて話して夜を明かすものだったようです。何かを開始する儀式ではありません。集まって、過ごして、解散する。それだけの夜です。
事を起こすのに向かないとされる日に置いても、この形なら差し支えがありません。始まりを控える日の過ごし方として、むしろよく出来ていると言えそうです。
暮らしの中で試すなら
読みたい本があるなら、今日は書名と現在のページだけを手帳に残し、読む時間は次の空いた日に取る、という使い方ができます。起点の欄と実行した日の欄を分ければ、考えたことと行ったことが混ざりません。次に振り返るときも、どこから進んだかを確かめやすくなります。
よくある質問
Q. 六十日の起点として、この日を使ってもよいですか
使って差し支えありません。数え始めの位置を決めるだけなら手続きが動かないので、控えるとされてきた行いには当たりません。
Q. 次に同じ並びが来るのはいつごろですか
年に一、二回で、一日も立たない年もあります。甲子の日は年に六回ほど、八日ごとの注記はひと月に三、四回。周期が違うので、揃う機会は限られます。
Q. この日に大黒天へお参りしてもよいですか
縁日にあたるので、参拝そのものは日付が先に決まっている行いです。願い事を立てるより、いつもの感謝を伝える形にすると、この日の性格にはよく合います。
出典
- 六十干支の先頭としての甲子および甲子待の習わしに関する解説
- 不成就日が対象としてきた行いの範囲についての暦書の記載