
二か月ほど前に始めたことが、いまも続いているかどうか、すぐに思い出せますか。
甲子の日は「きのえねのひ」と読みます。日の干支が甲子にあたる日のことで、六十日でひと巡りする組み合わせの一日目です。一年におよそ六回めぐってきます。前の六十日が終わり、新しい六十日が始まる区切りの日として語られてきました。
暦の数え方の原点にあたるので、物事を始めるのに向く日と読まれます。ただ、この日のいちばん使いでのあるところは、始める側ではなく数える側にあります。六十日という長さが、あらかじめ用意された物差しとして手に入るからです。
甲子の日でわかる3つのこと
- 六十日にひと回り、年に六回ほどの日です。 六曜のように毎週来るものではなく、二か月に一度の間隔でめぐります。
- 暮らしの土台を整える用事に向きます。 大黒天が受け持ってきたのは、食べること、働くこと、家を保つこと。派手さのない作業のほうが由緒には合っています。
- 夜に人が集まる日でもありました。 江戸のころには甲子待という寄り合いがあり、集まって食べて話して夜を明かす習わしが各地にありました。
六十日をひと区切りにしてみる
二か月という期間は、続けられるかどうかを試すのにちょうどよい長さです。一週間では手応えが出ず、一年では途中で目的を見失います。暦の側が区切りを用意してくれているので、こちらは起点に乗るだけで済みます。
六十日を数え始める4つの手順
- 六十日後に少し整っていたら嬉しいことを、一つだけ選びます。 二つ以上にすると、たいてい両方とも途中で止まります。
- そのために毎日やる行いを決め、今日を一日目として数え始めます。 一日五分でも十分です。
- 続けるために減らすものを一つ決めます。 時間は増えないので、必ず入れ替えになります。
- 数えられる形にしておきます。 何ページ読んだか、何回歩いたか、いくら残せたか。感覚で覚えていると、たいてい実際より少なく見積もってしまいます。
次に甲子の日がめぐってきたら、続いたかどうかだけを確かめ、目標に届かなくても、数字が並んでいれば動いた分は残ります。
始まりの日に、約束を増やしすぎない
始まりの日と聞くと、あれもこれも一緒に手をつけたくなります。ここがこの日のいちばん危ないところです。同時に五つ始めれば、六十日後に残るのはたいてい一つもありません。
この日に向くのは、台所の道具を整える、家計の記録をつけ直す、仕事の段取りを一つ書き直す、といった地味な作業です。 大黒天がまつられてきた場所を思えば、暮らしを回す部分に手を入れるほうが筋が通ります。
それから、始まりの日を待ちすぎるのも困ります。次の甲子の日から始めよう、と決めた瞬間に、いま手をつけられることが二か月先へ動いてしまいます。暦の日はすでに動いているものを区切るのに向いていて、動き出す理由を外から借りると、たいてい待つ期間のほうが長くなります。
六十通りの先頭にあたる組み合わせ
十干は甲・乙・丙・丁と続く十種、十二支は子・丑・寅と続く十二種です。二つを頭からずらしながら組み合わせていくと、六十通りで元に戻ります。この数え方は日にも月にも年にも使われ、六十年で一巡することから還暦という言い方が生まれました。
甲は十干の一番目、子は十二支の一番目なので、甲子は六十通りのいちばん先頭に来ます。似た成り立ちの日として己巳の日がありますが、あちらは六番目です。順番が違うだけで、性格はずいぶん変わります。
甲という字も、始まりのほうを向いています。五行では木にあてられ、そのうち地面から立ち上がっていく勢いのある側に例えられます。子は方角では真北、時刻では真夜中。一日でいちばん暗い時間に日付が改まるという感覚は、月が見えない夜から次の巡りが始まる新月の考え方とも似ています。始まりは明るい場所ではなく、暗いところに置かれてきたわけです。
年のほうでも甲子は節目として扱われ、元号を改める根拠にされた例があります。兵庫の球場に甲子園の名がついたのも、完成した年が甲子だったからだと伝えられます。
鼠が大黒天に結びつくまで
甲子の日は、大黒天の縁日とされています。理由は子、つまり鼠にあります。
大黒天はインドのマハーカーラという神にさかのぼるとされ、日本に入ってから大国主命と重ね合わされていきました。大国と大黒の音が通じることが、その一因だと説明されます。そして『古事記』には、大国主命が野火に囲まれて危ういところを鼠が救ったという話が残されています。鼠が大国主命の使いとされ、大国主命と大黒天が結びついたことで、子の日が大黒天の日になった、という道すじです。
神と仏が混ざり合う経緯としては、かなり込み入った成り立ちです。裏を返せば、この日の縁起は暦の計算だけから出てきたものではなく、神話と仏教と語の響きが重なってできています。同じ開運日と呼ばれていても、計算だけで定義される日とは種類が違うわけです。
甲子待という夜の集まり
江戸期には、この日の夜に人が集まり、大黒天をまつって夜更かしをする習わしがありました。甲子待と呼ばれ、庚申の日に眠らずに過ごす庚申待と対になる形で各地に広まりました。
内容は土地によってさまざまですが、二股の大根や黒豆、赤飯といった供え物が知られています。厳しい修行ではなく、講の集まりに近いものだったようです。近所の人が集まって食べて話して夜を明かす。暦の日付が、そのまま人の集まる理由になっていたことがわかります。
こうして見ると、この日は個人が願いを立てる日というより、暮らしを支える神を家や町ぐるみで拝む日でした。五穀豊穣や商売繁盛が並ぶのは、その反映でしょう。願いの中身が、個人の望みより先に、生きていくための土台へ向いていたのです。
いまはこうした寄り合いも少なくなりました。ただ、六十日ごとに人が顔を合わせる仕組みだったという点は覚えておく値打ちがあります。ひとりで手帳に向かうより、誰かと約束したほうが続くことは多いものです。家族や仲間との定期的な相談日にあてる使い方は、もとの形にむしろ近いのかもしれません。
暮らしの中で試すなら
家族と区切りを共有するなら、夕食のあとに短い相談の時間を取ってみます。前回から使いやすくなった場所を一つ、まだ困る場所を一つ話し、次の六十日で手を入れる箇所を選びましょう。大きな目標を立てなくても、台所の置き場所が一か所決まれば、毎日の変化として確かめられます。
よくある質問
Q. 甲子の日は一年に何回ありますか
六十日でひと巡りするので、一年に六回または七回めぐってきます。毎月の日付が固定されているわけではないため、次の甲子の日は暦で確かめます。
Q. 甲子園という名前は、この干支から来ているのですか
そう伝えられています。球場が完成した年の干支が甲子にあたり、縁起のよい組み合わせだとしてその名がつけられたと説明されます。年の干支と日の干支は同じ六十通りの表を使うので、名前の由来としてはつながっています。
Q. 大黒天に何を供えるのですか
古い記録に見えるのは、二股の大根、黒豆、赤飯です。二股の大根は大黒天の像に添えられることがあり、いまも社寺の授与品や飾りに残っています。家で真似るなら、黒豆を煮る程度で十分でしょう。
出典
- 各種暦書における六十干支および甲子の日の解説
- 『古事記』大国主命の説話、および大黒天と大国主命の習合に関する一般的な説明