
良い日と悪い日が同じ日に来たとき、どちらを信じればいいのか迷ったことはないでしょうか。
天赦日は、天が咎めを下ろすとされてきた吉日です。日ごとの吉凶を記した暦注下段のなかで最上に置かれ、一年に数回しか立ちません。不成就日は、その字のとおり成し遂げにくいとされる日で、婚礼や開店のように、その日から始まって先へ続いていく行いを控えるものとされてきました。
名前を並べると、片方がもう片方を打ち消しているように見えます。ところがこの二語は、そもそも別のものについて話しています。
天赦日と不成就日の重なりがわかる3つのこと
- 見ている時間の向きが逆です。 赦しの日は済んだ側を、成らない日はこれから先の側を扱います。
- 格付けでは白黒がつきません。 最上位という言い方は吉日どうしを並べる物差しで、凶の注記と突き合わせる目盛りは付いていません。
- 控えるのは、新しく起こす行いだけです。 途中まで進んだものに手を戻すことには、どちらの注記も口を出しません。
済んだことにだけ手をつける
触るのは済んだ側だけにする。そう決めると、二つの注記は同時に立ちます。
赦す日と成らない日に向く4つの行い
- 中断したままの学びを、覚えている範囲から十分だけ動かします。 進み具合の確認ではなく、開くことが目的です。
- 使い残した回数券や受講料を思い出し、期限だけ調べておきます。 使うかどうかは後日決めれば足ります。
- 長く自分を責めてきた一件を選び、ここで終わりにすると書き留めます。 相手に伝える必要はありません。
- 新しい申し込みは、条件を読むところで手を止めます。 署名は別の日に回します。
四つ目に、成らない日の役目が出てきます。赦しの日だからと構えを緩めて、条件を見ないまま署名してしまう。そこだけは、もう一方の注記が引き止めてくれます。
開きかけの一冊へ戻るなら
中断していた学びに戻るときは、前のページを最初からやり直すより、止まった場所を一度眺めてみます。スケッチなら途中の線、語学なら最後に挟んだ付箋。覚えているところと、もう一度見たいところを見つけます。その日は道具をそろえて一か所試し、続きに戻れるよう、開くページや使う道具を決めておく。終わりに「次はここから」と一言残せば、短い時間でも再開の支度が手元に残ります。
惜しい日を取り上げられた、と思わずに済ませる
年に数回の日に凶の注記が乗ると、貴重な機会を奪われたような気持ちになります。惜しいと感じた分だけ、何かしなければという圧も強くなる。そして動けなかったとき、赦しの日に自分を責めるという結果が残ります。
赦すという言葉を暮らしに置き換えるなら、いちばん近いのは、何もできなかった一日を咎めずに済ませる練習かもしれません。もしそうなら、成らない日が乗っているのは好都合です。何も成らなくてよいと、暦の側が先に言ってくれているのですから。
二つは時間の逆向きを眺めている
天赦日が受け持つのは、すでに済ませてしまった出来事のほうです。天が咎め立てをしない日という説明のとおり、過去の始末をどう考えるかに関わります。対する不成就日が見ているのは、これから手をつける行いの先行きです。婚礼、開店、移転、契約。どれもその日から始まって、あとに続いていくものばかりです。
片方は振り返る側に立ち、もう片方は見通す側に立っている。ぶつかっているように見えて、実際には分担しているだけ、という読み方ができます。
格の高さでは決着がつかない
暦注下段の吉日のうち最上位が天赦日である、という説明はよく見かけます。ならば最上位の吉が凶を上回るはずだ、と考えたくなります。
けれども、その順位は吉日どうしを並べるためのものです。良いほうが勝つと書く暦もあれば、避けるべきほうを先に見よと説く暦もありました。全体をそろえた規定がないので、順位だけでは日取りを決めきれません。
よくある質問
Q. 天赦日と不成就日が重なる日は、結局どちらとして扱えばよいのですか
自分がやろうとしていることで分けると迷いません。止まっているものを再開するなら赦しの日として、新しく立ち上げるなら控えるほうの日として扱います。
Q. この重なりは年に何回くらいありますか
年によって差があり、一日もない年もあります。天赦日そのものが年に数回しか立たないうえ、そこに八日ごとの注記が乗るかどうかは旧暦のずれ方で変わるためです。
Q. 赦しの日に凶日が乗るのは縁起が悪いのですか
由来をたどると、二つは別の系統から入ってきた注記です。片方が片方を打ち消すように作られたものではないので、重なったこと自体に意味を読む必要はありません。
出典
- 暦注下段における吉日の格付けについての暦書の解説
- 不成就日の由来と対象となる行いに関する一般的な説明